社会の常識や伝統という固定観念に囚われる、洗脳された多数派。破壊と創造を目指す少数派。

この頃、よく、不合理な社会の常識や伝統、という固定観念に囚われ過ぎている人だとかによくもやもや感を感じています。そういった不合理な社会の常識や伝統を人に押し付けてくる人に関しては、激しく怒りを感じています。

「もっと別の視点で見ろよ!」とか、「何故信じ込んでしまうんだ」とか、「疑えよ!」とか思ってしまいます。

ちなみに、前書いたこの記事(元号はいらない。無駄。悪しき伝統。悪影響だらけ。さっさとやめるべし)から発想を膨らませました。

この記事で書いている「常識・伝統」とは、あくまで「不合理など、良くない常識・伝統」のことです。それ以外は、この記事とは関係ナシです。

そもそも、「常識」とは?「伝統」とは?

そもそも、「常識」とは、そして、「伝統」とはどういう意味なのでしょうか。個人的には、2つとも似ていると思っています。

まず、「常識」とは、「ある集団や社会のメンバーがみな当たり前と思っている知識・価値観・考え方」と、ここでは定義します。

次に、「伝統」とは、「ある集団や社会などで歴史的に作られて受け継がれていった慣習」と、ここでは定義します。

だいたいの人がそう言った感じの認識かと思いますし、辞書にもそういったことが書かれているかと思います。

そして、こうやって見比べてみると、「常識」と「伝統」って、かなり似ていることがわかります。「常識」は、みんなが当たり前だと思っているから・言っているからと言って信じる。「伝統」は、古くから受け継がれている伝統だから、と言って信じることになる。たとえそれがどんなに不合理なものであろうと。酷いものであろうと・・・。考えることはせずに、信じる・・・。

「常識」や「伝統」の問題点

こうした「常識」や「伝統」の問題点は、その集団や社会のほとんどの人(=多数派)が信じ込んでしまっている点。それも、何も考えず、「常識だから」「伝統だから」という理由で。

これの何が問題かと言いますと、”どんなに良くないものであろうと、常識や伝統であれば当たり前なものとしてまかり通ってしまう”ということです。どんなに良くないものであっても。

例えば、学校の校則です。ある学校内では、「常識」や「伝統」として「男子の髪型はこの髪型(ツーブロックなど)禁止!前髪は眉上!後ろは刈り上げて耳は出せ!、女子は・・・(省略)」という風な校則があるとします。

これ、学校の外の世界から見たら明らかにおかしいわけですが、(人権侵害にも見えます)、学校内では「常識だから」「伝統だから」「みんなやってるから」それだけの理由が多数派になり、まかり通ってしまうわけです。そして、絶対的に従わなければいけなくなる。疑うことは許されないのです・・・。

これが、「常識」「伝統」の問題点です。

多数派による同調圧力で成り立つ「常識」や「伝統」

上で書いた例は、ある学校の校則でした。

それだけでなく、他にも様々なものが「常識だから」「伝統だから」という理由で世の中にはびこっています。良くないもの・・・。不合理なもの・・・。酷いもの・・・。

それらは、「多数派による同調圧力」によって成り立っています。

その多数派たちは、この記事のタイトルにある通り、「常識」や「伝統」に洗脳されていたりします。もしくは、そういった「常識」や「伝統」に対し、良くは思っていなくても、面倒くさいしこのままでいいや、とか、何を言っても変わらないよ、とか思っていたりします。

それだけに、少数派の「常識」や「伝統」に疑いをかける人たちが邪魔に見えたり、危険な考え方に見えたり、「常識や伝統を信じさせるふうに、正さなければ!」と思っていくわけです。

そして、数の暴力が始まります。同調圧力です。意識的にしろ、無意識的にしろ。

ちなみに、「同調圧力」の意味は・・・、

同調圧力(どうちょうあつりょく 英: Peer pressure)とは、地域共同体や職場などある特定のピアグループ(英: Peer group )において意思決定を行う際に、少数意見を有する者に対して暗黙のうちに多数意見に合わせることを強制することを指す。

引用元:同調圧力 – Wikipedia

つまり、少数派に対し「多数派に合わせろ」と。

「常識だから」「伝統だから」の他に、「空気読め」とか「普通はこうだろ」とかいう風に言って、教え込んでいきます。これはもはや洗脳です。

ちなみに、「洗脳」の意味は・・・、

洗脳(せんのう、英: brainwashing)は、強制力を用いて、ある人の思想や主義を、根本的に変えさせること。

引用元:洗脳 – Wikipedia

同調圧力で強制力をかけて、思想や主義を変えさせようとしているのだから、やっぱり洗脳です。

そして、「常識」や「伝統」に疑いをかける少数派はどんどん減る、もしくは我慢し、見かけ上の「秩序」が出来上がるわけです・・・。が。

「常識」や「伝統」を疑う少数派による破壊と創造

僕の考えでは、「常識」などは(当時の)少数派が破壊と創造をするものだと考えています。

どういうことか、「破壊と創造」とは何か、話します。

常に時代は進んでいます。すると、時代に合わない不合理な「常識」や「伝統」などが必ず出てきます。情報化が進む現代なんかは、”特に”です。

なので、時代を進めるためには、必要ない不合理な「常識」や「伝統」の破壊が必要になります。そして、新たな「常識」や「伝統」を創造する。

その繰り返しなのではないかと思ったわけです。これが、僕の考えた、「破壊と創造」です。

よく、「昔は良かった」とか「時代についていけない」とかいう人、いますよね。それっておそらく、どんどん「常識」や「伝統」が破壊されては、新しく創造されていっているからなのです。

 

例えば、日本でスマホが登場!それに伴い、ガラケーという常識、は破壊されました(厳密には、まだ使える場合もありますが、生産が終わってたりします)。

日本のテレビ放送がアナログからデジタルになった時とかもそうですね。

イギリスにおける産業革命の時、当時の産業や社会制度の仕組みが大きく変わりました。当時の常識を破壊し、新たに創造したのです。

前書いたこの記事(元号はいらない。無駄。悪しき伝統。悪影響だらけ。さっさとやめるべし)にも書いた通り、

ガリレオ・ガリレイは天動説という当時の定説(もはや当時の常識・伝統)を疑い、地動説を唱えました。処刑されてしましましたが、死後に正しかったことが証明されます。天動説の破壊と地動説の創造を行ったわけです。

アインシュタインは相対性理論を最初に発表したとき、突飛すぎて(常識や伝統から外れすぎて)、良い反応ではなかった。が、2019年の今日では、誰もがその名を知るものとなっている・・・。当時の物理学の破壊、新たな物理学の創造をしたのです。

 

などなど・・・、挙げていくときりがありません。

 

そういった「破壊と創造」をする人たちは、当時おそらく少数派です。少数派どころか一人だったり。しかし、それが現代の「常識」や「伝統」になっていたりするのだからすごいです。

 

この、「破壊と創造」、思いついたのは僕だけかと思い検索してみると、似たようなのがひとつ見つかりました。

「創造的破壊」というものが出てきました。Wikipediaより引用します。

創造的破壊(そうぞうてきはかい)とはヨーゼフ・シュンペーターによって提唱された経済学用語の一つであり、経済発展というのは新たな効率的な方法が生み出されれば、それと同時に古い非効率的な方法は駆逐されていくという、その一連の新陳代謝を指す。

創造的破壊は資本主義における経済発展そのものであり、これが起こる背景は基本的には外部環境の変化ではなく、企業内部のイノベーションであるとした。そして持続的な経済発展のためには絶えず新たなイノベーションで創造的破壊を行うことが重要であるとシュンペーターは説いた。

引用元:創造的破壊 – Wikipedia

ちなみに新陳代謝とは、古いものが新しい物に入れ替わることです。

この、「創造的破壊」、僕がぼんやりと考えていた「破壊と創造」とよく似ているな、と思いました。

僕の思いついた「破壊と創造」の場合は時代に合わせて不合理な「常識」や「伝統」が破壊されて新たに創造されていく、

「創造的破壊」の場合は経済学の用語の一つで、新たな効率的な方法が生み出されれば同時に古い非効率な方法は駆逐されていく・・・、

なんか、すごく似てますね。不思議なこともあるもんです・・・w

最後に

今気付いたんですけど、ものすごくまとまりのない記事になってしまいました。タイトルともズレがあるような。まあいいや。

「破壊と創造」というものを発見できたこと、「創造的破壊」とすごく似ていること、不思議なこともあるもんだなぁと思いました。

そして、どんな「常識」や「伝統」も破壊してしまえ!とは思っていませんが、良くない「常識」や「伝統」を打ち破ろうとしている人、応援しています。

上の方で書いたとおり、この記事で書いている「常識・伝統」とは、あくまで「不合理など、良くない常識・伝統」のことです。それ以外の良いものは、この記事とは関係ナシです。

 

2019年6月5日追記:Amazonで「疑う」で調べたところ、こんな本を見つけました。

僕は読んだことはありませんが、紹介だけしておきます。

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