「友達100人できるかな」とかいう歌が大嫌い 無駄にたくさんの友達なんて、いらない

皆がしてるんだから同じようにすべき、という「友達100人できるかな教」

友達は100人もいらない

 

そもそもあの歌おかしいだろ。

友達100人も作ってどーなるんだよ。

 

この歌のせいでね、小学校低学年の頃とか、「友達が少ないのはよくないこと」なんて勘違いを起こしていました。

 

そして、ひとりぼっちの僕はオドオドしながら生活してました。

いじめられたりしながらね。殴ったり、蹴られたり。

学校行くのが怖いと思いながら。

 

僕はもともと一人が好きなんですけど。

 

でも、「学校行くのが当たり前」っていう雰囲気があって。

皆がしてるんだから(学校通ってるんだから)同じようにすべしっていう、あの感じですよ。

幼き僕は当たり前のようにそれに従って、学校に通っていました。

 

 

 

今の僕は、こう思います。

 

嫌だったら逃げりゃあいい!

 

なんか、この世の中、「皆がやってるからやれ」っていう同調圧力がありますがね。

でもね、得られるもんなんか何もない。

 

ただ苦しい思い出や記憶が身に残り、人間不信になっただけでした。

 

未だに人が怖いと思うことがある。

 

こんな風になるのがいいこと、と世間は認識しているのだろうか。

 

他にも、LINEで100人に対応できんの?とも思うしw

100人でご飯食べたいな

100人で食べる飯がうまいだあ?

 

何言ってんだ?

 

100人もいたらなぁ。

みんなそれぞれ違うんだから。個性があるんだから。

 

考え方の違う人同士が「アイツうざい」なんてことをお互い思い合ったり。

僕みたいに、「うるさい、苦しい」なんて感じる人が出てきたり。

「みんなで食べた方が美味しい」なんて言うけどねぇ。嘘だよ。

 

 

なんとなく、嫌な人っているでしょ。嫌いな人って、誰しもいるでしょ。

 

食事の時まで、そんな人らと関わりたいですか?

 

嫌でしょ。

 

特に僕みたいな「一人好き」にとっては、そう思います。

小中学校では、「班を作って!」とか言い、「給食」を食べることを強要する。

 

嫌な人と食事したら息詰まるわ!

 

そして高校や大学で「一人で弁当食べて寂しくないの?」とかよくわからんこと聞いてくる連中が湧くわけですよ。

そんなんこっちの勝手やし!静かに一人で食べたいんだ!邪魔すんな!って思います。

僕は食事は基本的に一人のほうがいいな。気が合う人は例外だけど。

 

学校の勉強サボりすぎて低偏差値高校なってしまった結果やな。

 

気が合う友達は高偏差値高校行ってしまった。

校則もガチガチやし、あの低偏差値高校は僕には合わねえんだ。

やたら厳しい"校則"にも意味がある ただし悪い意味で
この国の学校には様々な「校則」が存在します。「意味ない」と思う方、実は校則には意味も目的も存在したのです。

 

・・・、話それちゃった。

まとめ

わざわざたくさんの友達作る必要はないです。

 

数少ない、深い関係で十分です。

 

苦しくなってしまういらない関係は僕は断ちました。

 

一人が好きらしい僕は、すごく楽になりました。

 

でも、なんでこんな歌が広まって歌われてるんだ?

 

ああ、教育は洗脳だからか。これで全部説明つくな。

「一人は良くないこと」と刷り込む感じ。

「友達100人できるかな教」と呼ぼう。

学校教育の意味とは洗脳である 学校は会社員・社畜養成所だった!
「学校って、なんのためにあるのか?」これについて、しっかりと考えを巡らせる人はそう多くないことでしょう。僕なりに出した答えを出すと、記事タイトルの通り、「会社員・社畜養成のための洗脳」になります。それについて、この記事では詳しく語っていきます。

 

さっき、「あの学校は僕には合わねえんだ」って言ったけど、若干違ったな。

 

 

 

洗脳されること自体、僕には合わねえんだ。

 

 

 

 

僕は一人が楽だし、それでいいんだ。

 

 

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